オフィスナオコマル:エッセイコーナー「ココロのオアシス」

ココロのオアシス

being への旅 ココロのオアシス入り口ページへ戻る 

そもそもこの旅、beingへの旅が始まったのはいつの頃からだったろうか?
10代の終わり? リアルに旅を重ねていた20代?

そしてある時、はっきりと 「being」 という言葉が種(テーマ)として
私の中に植えつけられることが起こった。
その時私は29歳。
以来、私の人生は 「being」 というものを探求する旅になった。

けれど、「探求の種」が植わったからといって、
一体 「being」 ってどういうことなのか・・・・

いつもどこかで探しながら、答えらしきものがひとつひとつ重なりながらも、
ずっと私はしっくりきていなかった。
一体 「being」 ってどういうことなのか・・・・

そんな中で10年の歳月が巡り 39歳になった時、
あるセミナーで聴いた話が、「雷」 となって私を直撃する瞬間がやってきた。

その話はこんな内容だったと思う。

自然体(ありのままの自分)でいることは 「技」 である・・・
講師の先生はホワイトボードに円を描き、その中心の核が 「私」 だと言う。
その核の周りに幾重もの円が重なり、
その円のひとつひとつは私が持つ 「リソース(様々なお宝)」。

肝心なことは、
その中心に 「私としての私」 がいること、
「私が在る」 ということ。


それがなければ、
どれだけすばらしいリソースの円が重なったとしても、
うまく回らない・・・ 
beingとdoingの相関図
と説明しながら、先生が真ん中に書き込んだワード、
それが 「being」 だった。
そして、そこに重なるリソースの円は 「doing」。
「being」 があってこその、「doing」 なのだと。
「doing」 だけでは機能しないのだと・・・・


この瞬間に私の中で、ある記憶がフラッシュバックした。
29歳の私。そう、「being の種」 の記憶。

遡ること10年前のメキシコへの旅。
人生の大きな転換期の中での旅だった。
メキシコ南部のオアハカという小さな美しい街で、
私は一人のネイティブメキシカンと出逢うことになる。
名前はRex。

彼は、
生きるということについて、
自然について、宇宙について、
世界について、
あらゆることに深い洞察を持っている人だった。
オアハカに着いてすぐ、引き寄せられるように出逢った。
3日の滞在予定が1週間になり、
この間、私は多くの大切なことを彼から学ぶことになる・・・・

ある時私は、Rexから不意に質問を投げかけられた。
軽いランチの後、コーヒーカップを手にリラックス・・・
そんな時のことだった。

“ What do you think is the most important thing in life? ”

唐突で、私は頭が回らなかった。
斜め後方からボールが飛んできた感じ。

「人生で一番大切なことは何」 だって!?

なんでそんなことを、そんな風にさらっと訊くのよ!
それこそが、私がずーっと探していること。
もうずっと・・・ ずっと・・・ 探している。
でも、わからないの。
だから、こうして旅もするのよ!
そんなこと、そう簡単にわかるもんじゃないでしょ。
それを、ごく当たり前な風に訊かないでよ。
あなたはそれが解ってるっていうの!?
だったら、教えてよ。

こんな思考が一瞬にして頭を巡った後、
私は反応した。

“ I do not know. ”

そんな私に彼は、
たった一言で答えた。

“ Being.... “

私は何を言われたかがわからなくて
フリーズ状態。

何? その 「being」 って?
どういうこと?
意味がわからないじゃない!
人生で最も大切なことっていうのが、ソレなの???

私は心の中でそう言った。

私はもっと別の答えがほしかった。
納得できる答えがほしかった。
だから、
「これじゃあ全然わからない!」 とちょっとした憤りさえ感じた。
わからない自分がもどかしくもあった。

一方で私は、
Rexの答えがつかめないながらも、

そこには深い意味がある・・・・

ということだけは、私の中のどこかが感じていた。
そして、
その意味を彼から 「言葉」 で説明してもらっても
今の私にはたぶん理解できないだろう、
ということもわかっていた。

だから、会話はここでストップとなった。
けれど、「静かな衝撃」 は私の中にとどまり続けた・・・・

being・・・ 
当時の私にはしっくり納まりきらない、
なんといろんな意味を持つ言葉であるか・・・

29歳、外の世界で探し物をしていた私に
もどかしさを残したRexとの会話。
この時このワードは私の中に刻印され、
以来、いろんな出来事が起こるたびに、
being の意味を問うことが繰り返され、
時と共に私なりの理解が積み重なっていった・・・・

そして、
Rexとの会話から10年を経た時、
そのセミナーで
ホワイトボードに being と doing の相関が示された瞬間、
私はまるで雷に打たれたようになった。
「Rexが私に伝えようとしたのは、このことだったんだ!」
ビンゴ!
確信が起こった。
理解が落雷のように降ってきた瞬間だった。

人生で最も大切なことは 「自分自身」 になることだ。
「私らしく」 生きることだ。
その私がちゃんと 「在る」 こと。座っていること。

それなくして doing だけをいくら重ねようとも・・・
意味はない。


言葉での理解でなく
理解が瞬時に私を貫いた。そんな感じ。

私たちは、つい doing ばかりに眼を向けてしまう。
○○をやってます。 ○○を成し遂げた。 ○○ができます・・・・

自分のことについても、
人にことについても。

そこが眼に入りやすいから。

でも、違うね。
自らの、その人の、 being の部分に
どれだけ近づいていけるのか・・・・

自分が意識しようとしまいと、
そのレッスンが次々と用意されているのが人生ではないかと思う。

私の 「beingへの旅」 はまだまだ続く・・・・ ずっと続く。
どこまで 「本来の自分」 に近づけるだろう。
そうなれることを、どこまで信頼できるだろう。
そして、眼の前にいる人の being をどこまで見つめられるだろう。
それが究極、私にとって生きるということなのだと思う。

大切なことほど、シンプル。
なのに、学ぶのに時間を要する。

「beingへの旅」 は果てしない。

beingの輪
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